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コロナ禍で分かった本当の人となり(人間性)-コロナ対策は周りへの思いやり優しさの表れ

 
良いか悪いかを判断する写真
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経営コンサルタント(中小企業診断士)、人事・労務コンサルタント(社会保険労務士)。福岡生まれの熊本育ち。性格は典型的な「肥後もっこす」。 「ヒト」と「組織」の問題解決(人材教育・育成や組織変革)を専門とする。 また、商社時代に培った経験から財務・会計にも強く、人事面のみならず財務面からの経営アドバイスも行う。 他にも社会保険労務士、中小企業診断士や行政書士など難関国家資格を含む20個の資格にフルタイムで働きながら1発合格した経験を生かし、資格取得アドバイザーとしても活動中。
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コロナ禍で見えた本当の人となり(人間性)-コロナ禍は人間性のリトマス試験紙-

良いか悪いかを判断している写真

「コロナ禍は人間性を判定するリトマス試験紙」なんて言い方をされているのをご存知でしょうか?
(参照:真鍋厚氏 記事12

これは、コロナ禍という強い不安やストレスに晒され続けたことで、周りの人(上司や部下のみならず、親族や友人知人なども含む)の本当の人となり(人間性)が明るみになることを意味しています。

例えば、
「感染対策を行わない経営者や守らない従業員」
「感染対策のレベルが低く、相対する顧客側が不安に思うような会社」
「テレワークを認めない経営者や上司」
「テレワーク中、部下を細かく監視する上司」
「自粛警察・マスク警察」
「コロナデマを盲信する」
「マスクをしない、手洗いをしないなどきちんとしたコロナ対策を取ってくれない友人知人」
など様々です。

あなたの周りにも、ワクチンのフェイクニュース(例えばワクチンを打ったらスプーンが腕に引っ付く、金属片が埋め込まれる等)を盲信して、周りにワクチン接種しないように働きかける知人などがいたりしませんでしたか?
(注:ワクチン接種の有無に関しては、個人の自由なので打たないと決めた人に対してあれこれ言うつもりはありません)

もちろん、今まで誰も経験したことのないほどの異常事態だった訳ですから、多少の振る舞いは目を瞑るべきだと言う意見もあります。実際、コロナ禍ではなくとも、長期間強いストレスに晒されれば、段々イライラしてきて普段言わないことを言ってしまったり、カッとなって怒ってしまったりすることはままあるのですから…。

ですが、このコロナ禍を機に付き合いを辞めたり、それとなく疎遠になるように振る舞ったりと、人間関係を見直すという動きが出ていることも事実です。(とは言っても、家族や会社内の人間関係などはそう簡単に割り切れるものではありませんが…)

今回のコロナ禍でその人(上司、部下、家族、友人知人)の本当の人となり(人間性)が見えたとして、これからどう接していくかということを考える上で、判断基準として使えそうな考え方を紹介したいと思います。

基準1:”信じるということ”-芦田愛菜さんの名言

芦田愛菜さんのスクリーンショット/公式ホームページより
芦田愛菜さんの写真/公式ホームページ「ジョビィキッズ」のスクリーンショット

子供の頃から活躍し、現在もテレビにCM、映画などマルチに活躍している芦田愛菜さんですが、”信じる”というテーマについて次のようにコメントし話題になったことがあります。

信じるというテーマについて)
「よく、その人のことを信じようと思いますという⾔葉を使うことがありますが、それってどういう意味なんだろうって考えました。
それは、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかなと感じて。
だから人は、裏切られたとか、期待していたのにと感じてしまう。
でもその人が裏切ったわけではなく、その人の⾒えなかった部分が⾒えただけであって、その⾒えなかった部分が⾒えたときに、あっ、それもその人なんだと受け止められる揺るがない自分がいるか、信じられるかということなのかなと思ったんです。
けれど、揺るがない自分の軸を持つのってすごく難しく不安になったりします。
だからこそ、人は『信じる』と口に出して、成功した自分とか理想の人物像にすがりたいんじゃないかと思いました」

引用:映画「星の子」の完成報告イベントにて

当時16歳にもかかわらず、こんな秀逸なコメントをしているのですから、将来が末恐ろしい女性ですね。

基準2:”他人の迷惑や欠点も許しなさい”-インドの名言(教育・子育て)

もう一つは、「【書評レビュー・名言:死ぬカス/努力は夢中に勝てない】死ぬこと以外かすり傷(著者:箕輪厚介)の内容まとめ」の書評レビューの中でも触れていますが、インドの教え(教育方針)です。
それは以下のような言葉です。

日本では「みんなちゃんとしているのだから、あなたもちゃんとしなさい」と子供に注意する。
インドでは「あなたもダメなのだから、人のダメなところも許しなさい」と諭す

引用:「死ぬこと以外かすり傷」(p128)より

日本では幼い頃から他人に迷惑をかけないようにと言われて育ちます。
しかし、インドでは自分自身が他人に迷惑をかけずに生きることはできないのだから、他人の迷惑やら欠点も許しなさいといった風に育てられるそうです。

この話を聞くと、イエス・キリストの逸話である「罪の女」を思い出します。

あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。

引用:ヨハネによる福音書 第8章2節-11節より

というイエスの言葉ですね。みなさんも一度は聞いたことがあると思います。

日本人だと「自分を棚にあげる」「人の七難より我が十難(意味:他人の欠点は、目につき気づくけれども、自分の欠点には、なかなか気づかない)」といった言葉の方が馴染みがあるかもしれません。

いずれにせよ、自分も完璧な人間ではないのだから、他人にも完璧さや理想を求めるなということです。

かける迷惑にも、信じることにも「限度」がある

芦田愛菜さんの言葉も、インドの教え(教育方針)も「なるほど」と思う部分があると思います。
決して、揚げ足を取りたい訳ではないですが、それでも「限度」というものがあるように思います。

かけてもいい迷惑にも限度がある

日本人の昔ながらの文化として「他人に迷惑をかけるな」と言う考えがあるのはご存知の通りです。

インドの教えは「他人の迷惑やら欠点も許しなさい」としている訳ですから、翻って「他人に迷惑をかけることも致し方ない」という考え方に行きつきます。

日本においても「他人に迷惑をかけてもいい」と言う考え方自体は否定されるものではありません。
なぜなら、人間は生きる上で誰しも何かしらの迷惑をかけているし、お互いに支え支えられる相互扶助の関係が自然と成り立っているからです。

例えばの話ですが、もし障害者が「他人に迷惑をかけてはいけない」と思ってしまえば、外出することもできず、周りの人に手助け求めたりもできなくなります。
そもそも、障害者ではなくても、年齢を重ね高齢になれば段々と自分一人だけでは出来ないことも増えてきて補助や介護が必要になるケースもありますので、そうした場合やはり「他人に迷惑をかけながら生きていく」と言うことになる訳です。
(※例えば何かを手伝ってもらう代わりに他人の命ともいうべき「時間」を奪っていることにもなりますが、今回はこの点は考えないことにします)

とは言え「迷惑をかけてもいい」の「迷惑」にも「限度」があると思います。

例えば、新型コロナウィルスに関しては、日本の場合多くの人がマスクや手洗いをはじめとした感染防止対策を取っています。
「他人からの目が…。同調圧力が…。本当は息苦しいからしたくないんだけど…」といった意見はあると思いますが、マスクをしていない人の方が珍しいほどです。

これは新型コロナウィルスが自分のみならず他人も含めて「命の危険」に晒す可能性があるからで、「うつしてはいけない」「他人に迷惑をかけてはいけない」という意識が働いている表れとも言えます。

(最近になって治療薬の開発が進んでいるので、コロナの脅威が緩和されるかもしれないという期待もありますが)
いくら迷惑をかけても良いといっても、さすがに命に関わる類の迷惑は他人にはかけたくないと思うのが普通だと思います。
実際、多くの方が今までで一番命の危険(身の危険)を身近に感じたのではないでしょうか?

迷惑をかけても良いということは何も自己中心的で我儘な振る舞いを許容するものではないはずです。
憲法には様々な権利を保障していますが、「ただし、公共の福祉に反しない限り」という但し書きがあります。
周囲に危害を加える自由まで保障されているわけではないのですから、「(本当は息苦しかったり、嫌だったりするけど)コロナ対策を取ること」は公共の福祉の一環と捉えていた人も多かったと思います。
(注:法解釈として正しいかどうかは不明です)

職場のコロナ鬱/ストレスを甘く見るな!命の危険は人間の最大の関心事で不安ストレスの原因 」で述べた通り、感染症は人類史において主要な死因の一つであり、本能的にも病気を予防したり(免疫システム)、避けたり(病原に近づかない)するように作られています。

考えてもみれば、人間の歴史の99.9%の時間は飢餓や殺人、干ばつ、「感染症」で死んできたわけですから、そうした死因に危険を感じ、避けようとするのは人間の本能レベルの対応とも言えます。
従って、コロナ禍においてマスクや手洗いをしない等の行動を取る人間は、他人の命の危険を脅かしているようなものですから、近づかないでおこうとしたり、避けようとするのは当たり前のことなのです。

ですから、そんな自分の命を脅かすような行動を取る人間に対して、今後の付き合いを考えたくなるというのはごく自然な流れな訳です。

信じるレベルにも最低限度というものがある

芦田愛菜さんの言うように「その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待している」という部分は確かにあると思います。

「あの人はこういう人だ」という想いには期待と願望が混じっているものですし、相手との関係次第(付き合いの長さ、関係の深さ)で理想や期待のレベルも異なってきます。
早い話、初めから大して期待していない相手であれば、裏切りや後悔と言った感情を抱くことは少ないですし、逆に相手に対する期待が高ければ「裏切り」や「期待していたのに」という落胆の気持ちを抱くものです。

ですが、今回のようなコロナ禍の中での「期待」と言うのは何も高いレベルを要求するものではありません。
一般的な感染対策(マスクや手洗いなど)をしてもらえば良いわけですから、それこそ小学生や下手したら幼児でもやれて、守れていることです。もはや常識やマナーといったレベル(の期待)とも言えます。

仮に平常時に常識やマナーが守れない人間(ex.時間を守らない、約束を守らない、煙草をポイ捨てするなど)がいればどのような対応を取るでしょうか?
おそらく今後の付き合い方を考えるのが普通でしょう。
(或いは類は友を呼ぶ理論が発揮され、仲良くなる場合もありますが…)

相手に対して過剰な期待や理想を押し付けるのは良くないかもしれませんが、一人の大人として見た場合、常識やマナーを持ち合わせていることを期待するということは、なんらおかしな事でもないですし、悪いことではないでしょう。

基準3:コロナ対策は相手に対する「思いやりや優しさ」の表れ

思いやり溢れる写真

中学校の頃、リトマス試験紙の覚え方は、「赤が青になったら歩く(赤いリトマス試験紙が青色になったらアルカリ性。酸性はその逆」なんて覚え方をしたものですが、要はpHが不明だったものをリトマス試験紙によって中身が何性(酸・中・アルカリ)かを判定する訳です。

極論かもしれませんが、コロナ禍でのコロナ対策というのも似たようなもので、感染対策の程度で相手の中身を判定することができます

それはすなわち「思いやりがあるか」「優しさがあるか」が分かるということを意味します。

もちろん、感染対策をしっかりしている人は自分が感染したくないからという想いも当然ありますが、様々な報道やニュースからどんなに感染対策を徹底しても感染リスクをゼロにするのは難しいということが分かっています。
それならば自分と出会う相手(同僚や友人知人、周りの人など)にうつしたくない、或いはうつす可能性を極力下げたいという想いから、コロナ対策をしている人が多いと思います。

要は「相手に対する想いやりの気持ちや優しさが、コロナ対策、感染防止対策(として表れている)」という訳です。

ビジネスではコロナ対策の出来不出来が会社の評価を占う試金石

ちょっとここで、ビジネスのシーンに置き換えて考えてみたいと思います。

まず、新入社員になると、社員になった途端に「会社の代表となること」「会社の責任を背負っていること」を意識付けられます。
なぜなら、例え入社一日目の社員であっても、もしその社員が犯罪などを起こせば会社名と名前がセットで報道されるからです。当然、そうした報道がなされれば会社の評判は下がります、例え新入社員であっても。

ですから、従業員の感染対策の程度を見れば、その会社の顧客やお客さんに対する考えや態度も見えてくる訳です。

例えば、よく目にするのが、ウレタンマスクでの営業担当者や(レストランや洋服店などの)接客担当者です。

マスク不足の頃ならまだしも巷に不織布マスクは溢れていますし、不織布マスクに比べてウレタンマスクの方が感染リスクが高いことは研究等によって明らかになっています。
にもかかわらず、ウレタンマスクでの営業や接客を認めているということは、その人が所属する会社は「全然顧客(お客さん)のことを大切に思っていないのでは?」という感情を抱かせる可能性が高いということです。

屋外で会話を発しないというのであれば構いませんが、営業担当者にしろ接客担当者にしろ、お客さんと至近距離で会話をすることが必須とも言える職種な訳ですから、ウレタンマスクの着用を許すと言うことはお客さんに不安を感じさせる可能性があるので上策とは言えません。
(多くの会社が非対面によるリモート会議や面談などを試行錯誤していることを考えれば、すぐに分かることです)

また、そうした会社に限って「CSを高める」「顧客を大切にする」というスローガンを掲げていたりします。
本当にCSを大切にする会社であれば、会社の事業を行う上でウレタンマスクの使用を認めるはずはないですから、はっきり言って有口無行(意味:口先だけで行動が伴わないこと)な会社と言わざるを得ません。
実際、ウレタンマスクを着用している病院なんてほぼないわけですから出来ない理由もないはずです。
会社内での様子は外部の者には分かりませんが、少なくとも顧客やお客さんと相対する時は、徹底した感染対策を取った振る舞いをすべきでしょう。

おそらく、従業員の感染対策の意識が高すぎるということで、お客さんに不快な想いをさせる可能性は相当低いはずです。むしろ、「コロナ禍で飛び込み営業するな。ウレタンマスクで来るな」といった書き込みがネットに散見されるように感染対策の意識が低いことの方がお客さんに不快な想いをさせる可能性が高いと言えます。
(注:もちろん、体質的な問題で不織布マスクの着用が出来ないとか、店員(営業)と顧客との間に仕切り板があるとか、屋外とかケースバイケースで判断する必要はあります)

こうした対応は何も難しいことはではなく基本中の基本ともいえることですから、そうしたことすら出来ていない会社は、マスクなし、或いはウレタンマスク着用という従業員の姿を通じて、自分たちの会社の意識の低さ、レベルの低さをアピールしていているようなものですし、自ら自社の評価を下げている事にも気づいていないとも言えます。

ほんのちょっとした意識の差かもしれませんが、相手に持たれる印象は随分と変わってくる可能性があります。
経営者の方には、今一度自社の様子を見渡してチェックしてみることをお薦めします。ひょっとしたら慣れや油断でなあなあになっているかもしれませんよ。

まとめ

芦田愛菜さんの”信じること”についての考え方やインドの教えである”迷惑や欠点も許しない”という考え方も、人間関係を考える上で十分参考になるものですが、「コロナ禍は人間性を判定するリトマス試験紙」と言われるように、今回の「コロナ禍」という異常事態も、「本当の人となり(人間性)」を見分ける上で役立つものです。

(コロナ禍初期と比べれば、ワクチンや治療薬の開発が進んで状況が少しは好転しているとはいえ)
感染すれば命の危険や後遺症に悩まされる可能性がある中で、コロナ対策を取らない人間は、周りの人の命を危険に晒しているようなものです。

逆を言えば、相手に対する想いやりの気持ちや優しさがある人間ほど、きちんとコロナ対策、感染防止対策を取っているとも言えます。(自分がコロナに罹りたくない一心で、自粛・マスク警察といった行動を取ってしまう人も一部いらっしゃいますが、今回は考えない事にします)

同時にこれはビジネスでも言えることで、本当に顧客やお客さんのことを考えている会社であれば、きちんとしたコロナ対策が取れていて当然です(それでも感染リスクをゼロにすることは出来ませんが)。
もし、マスクなし(顎マスク、鼻出しマスク)やウレタンマスクなどの不十分なコロナ対策しかやれていないような会社があるのであれば、その会社は心から顧客やお客さんのことを大切にしている会社とは言えないでしょう。
少なくとも相手(顧客やお客さん)に対して感染リスクを減らすという努力を怠っているのですから。

顧客もお客さんもあえて口に出して苦言を呈することはないかもしれませんが(マスク警察等と思われるのも面倒なので)、内心では「ありえない。勘弁してほしい」なんて思っている可能性もあります。

経営者の皆さん、あなたの会社は大丈夫でしょうか?ちょっとした対応の差が、後々大きな差を生む事になるかもしれませんよ。信用・信頼を築くのには長い時間がかかりますが、失うのは一瞬です。

【本記事のまとめ】
(1)コロナ禍で見えた本当の人となり(人間性)-コロナ禍のリトマス試験紙-
 →コロナ禍という強い不安やストレスに晒されたことで、周りの人の本当の人となりが明るみなった
 →ex.コロナ対策を取ってくれない経営者、テレワークを許可しない上司
    顎マスク鼻出しマスクなどコロナ対策を取らない同僚、デマを盲信する人、マスク・自粛警察など
(2)基準1:“信じるということ”-芦田愛菜さんの名言
 →その人自身を信じているのではなく、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待してしまっている。
 →その人が裏切ったのではなくその人の見えなかった部分が見えただけ。
 →見えなかった部分が見えた時に、それを受け止められる揺るがない自分がいるか、信じられるかということ。
(3)基準2:他人の迷惑や欠点も許してあげよう-インドの名言(教育・子育て)
 →自分も迷惑をかけるし、欠点もあるのだから、他人の迷惑や欠点も許してあげようということ。
(4)かける迷惑にも、信じることにも「限度」がある
 -4.1 かけてもいい迷惑にも限度がある
  →相手を命の危険に晒すような「迷惑」はかけるべきではない。
  →コロナ対策を取らない人は相手を危険に晒しているということ。
 -4.2 信じるレベルにも最低限度というものがある
  →相手に対して過剰な期待や理想を押し付けるのはNG。
  →「マスク着用、手洗い等のコロナ対策を取ること」は常識やマナーレベルの期待に過ぎない。
  →それが出来ないということは常識やマナーがないということ。
(5)基準3:コロナ対策は相手に対する「思いやりや優しさ」の表れ
 →相手に対する思いやりや優しさがある人ほど、きちんとコロナ対策、感染対策を取っている。
(6)ビジネスではコロナ対策の出来不出来が会社の評価を占う試金石
 →従業員の感染対策の出来不出来が会社の評価・評判に繋がる。
 →本当に顧客やお客さんを大切にしたいと考える会社であれば、尚更きちんとしたコロナ対策を取るはずである。
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経営コンサルタント(中小企業診断士)、人事・労務コンサルタント(社会保険労務士)。福岡生まれの熊本育ち。性格は典型的な「肥後もっこす」。 「ヒト」と「組織」の問題解決(人材教育・育成や組織変革)を専門とする。 また、商社時代に培った経験から財務・会計にも強く、人事面のみならず財務面からの経営アドバイスも行う。 他にも社会保険労務士、中小企業診断士や行政書士など難関国家資格を含む20個の資格にフルタイムで働きながら1発合格した経験を生かし、資格取得アドバイザーとしても活動中。
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