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【書評】友だち幻想-人と人の<つながり>を考える-(著:菅野仁)の要旨(まとめ)・感想

 
書籍「友だち幻想」のカバー写真
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経営コンサルタント(中小企業診断士)、人事・労務コンサルタント(社会保険労務士)。福岡生まれの熊本育ち。性格は典型的な「肥後もっこす」。 「ヒト」と「組織」の問題解決(人材教育・育成や組織変革)を専門とする。 また、商社時代に培った経験から財務・会計にも強く、人事面のみならず財務面からの経営アドバイスも行う。 他にも社会保険労務士、中小企業診断士や行政書士など難関国家資格を含む20個の資格にフルタイムで働きながら1発合格した経験を生かし、資格取得アドバイザーとしても活動中。
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見出し

友だちは何よりも大切。
でも、なぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのだろう。
人と人との距離感覚をみがいて、上手に<つながり>を築けるようになるための本。

書籍情報

著者:菅野 仁(かんの ひとし)
書籍:友だち幻想-人と人の<つながり>を考える- / ちくまプリマー新書
(他に、「教育幻想」、「愛の本」、「18分集中法」などの著書がある。)
値段:740円(税抜き)

購入の経緯

TVで取り上げられたこと(ピース・又吉が紹介)から人気が出た書籍(らしい)です。(初版は2008年3月なので、今から10年以上前に出版されたもの)
私自身はTV放送のことは知りませんでしたが、大型書店の展示スペースで紹介されているのを見て即買いしました。「友だち幻想」という題名に惹かれたのも購入理由の一つです。

要旨(まとめ)

要旨(まとめ)というよりは、本の中で印象に残った部分を挙げています(トピックス)。

「ムラ社会」から「一人でも生きていける社会」へ

まず、理解しておかなければならないのが、昔と今では人との付き合い方が変わったということです。
昔は、周りと協力することで生きていくという「ムラ社会」が当たり前だった訳ですが、現在は「誰とも付き合わずに、一人で生きていくこと」も可能な世の中に変化しています。
社会環境が変われば、人と人の付き合い方が変わるのも自然な流れです。
ただ、そうした変化があったとしても、「(一人でも生きていけるけど)、一人でいるのは寂しいな」と思うのが普通の人の感覚であり、本質的に「人と繋がっていたい」という願望が人間にはある訳です。

「ルール関係」ありきの「フィーリング関係」。逆では成り立たない

「ルール関係」とは、他者と共存していくときに、お互い最低守らないといけないルールを基本に成立する関係です。「フィーリング関係」とは、とにかくフィーリングを一緒にして、同じようなノリで同じように頑張ろうという関係です。

今の学校ではフィーリング関係だけに頼ることはできず、ルール関係をしっかり築いた上で、フィーリング関係もあればなお良いということを述べています。
学校でいじめがなくならない理由を著者は、「みんな仲良く」というフィーリング関係だけを持ち込み、ルール関係がおざなりになっていると言及しています。
つまり、「いじめ」という人としてルール違反をしているという現実に対して、先生がきちんと裁定を下さなければならないと述べています。大人の現実社会と同様に「これ(ex.いじめ)をやってはいけない」というルールを共有させ、互いの関係を成立させることが大切だということです。

ルールは自由のためにある

ルールは、なるべく多くの人が最大限の自由を得られる目的で設定されるべきものです。「これさえ守ればあとは自由」というように「ルールと自由はワンセット」で考えられるものであり、「自由とはルールがないところでは成立しない」ということを述べています。
仮に「何でも好き勝手にやっていい」ということが自由だとすれば、「自分の利益しか考えない力の強い人」が一人存在すれば、残りの人はみんな不自由になってしまいます。近年、渋谷でのハロウィン騒動が世間を騒がせていますが、ルールがないゆえに、あのような惨状になっているとも言えるのではないでしょうか。「自由とは?」「ルールとは?」をもう一度考えるべき段階に来ていると思います。

ルールは表裏一体の関係

著者は、社会のルールとして大事だと考えられているルールとして、「盗むな、殺すな」という原則を挙げています。
「殺すな」は、結局「自分が安全に生き延びる」という生命の自己保存のためのルールと考えられます。「盗むな」も同様です。いわゆる、ルールは表裏一体、作用・反作用の関係にあると言えます。

学校でのいじめに置き換えれば、「誰かをいじめるということは、今度は自分がいつかやられるか分からないという、リスキーな状況を自分自身で作っていること」になります。
無意味に人を精神的、身体的にダメージを与えないようにするということは、自分の身を守る、自分自身が安心して生活できることに直結する訳です。
そう考えると「自分は強い」、「自分だけは大丈夫」という勝手な考えが、いじめを引き起こしているのかもしれません。
ですが、「いじめ」のような力関係はその時々のもので、いつひっくり返るかは誰にも分からないのですから非常にリスキーなことをやっているのです。(みなさんの中にも、いじめる側、いじめられる側の両方なったことがある人もいるのではないでしょうか)

ここで大切なことは、「盗むな、殺すな」は「人として良くないことだから」という答えではなく、「人に殺されない、人から盗まれないことを保障するために必要なルールになっている」ということです。
同様に「いじめが悪いことだからダメなのではなく、自分がいじめられないためにそのルールが存在している」ということです。このことをしっかりと理解しておく必要があります。

この考え方は、我が国の「罪刑法定主義」にも通ずるものです。
「法律なければ犯罪なし。法律なければ刑罰なし」という言葉が「罪刑法定主義」の全てを表現していると言えます。
詳細が気になる方は、「刑法、罪刑法定主義」あたりのワードで調べてみて下さい。

だから、気に入らない人とも並存する作法が大切

人間誰しも、気に入らない人、馬が合わない人が存在します。だからと言って、攻撃的なことを行えば、明日は我が身となる可能性があります(先ほどのルールの表裏一体の関係)。だからこそ「並存性」という考え方が大切だと著者は述べています。「敵対か、親しさ」かではなく、その中間を選ぶということです。「やり過ごす」という発想です。

その例として、「サバンナの泉のほとり」を挙げています。たくさんの種類の動物が、お互い無関心な様子で同じ空間を平和に共有している姿をTVで見たことがあるはずです(それをサバンナの泉のほとりと呼んでいます)。あのような「我関せず的」な状態が「並存性」のイメージです。

「話せば分かる」も幻想

著者は、本の中で「他者」について言及しています。
それは、「どんなに自分と近い存在であろうと、自分以外は全て『他者』と考える。つまり、自分とは違う考え方や感じ方をする他の人間である」というものです。

この「他者」という考え方が非常に重要で、他者の「異質性」を認識するということに繋がります。そして自分とは違うと認識できることで、自分の「個性」に気づくことになるのです。

しばし、親友なら、家族なら、「自分のことを分かってくるはず」という考え方が横行しますが、そもそも「自分のことを分かってくれるはず」という考えが非常に自己中心的な考え方であることを自覚すべきです。
「自分以外」=「他者」な訳ですから、それ(自分のことを分かってくれる)はつまり相手に自分の考えを押し付けていることになり、他者の存在を無視した傲慢な考え方だということです。

仮に、自分の思っていることや感じていることが100%ぴったり(相手と)一致していると思って向き合っているのであれば、それは相手ではなく自分の作った幻想を見ているのにすぎないのかもしれません。もしかすれば、他者が合わせてくれているのかもしれませんし、或いは知らぬ間に強制しているのかもしれません。いずれにしろ「自分」と「他者」という関係から考えれば、一致していると思っている(勘違いしている)ことそれ自体、異常がある状態だと気付くべきでしょう。

人はどんなに親しくなっても「他者」なんだということを意識した上での信頼感のようなものを作っていかなければならないということです。

同調圧力

著書の中で、「同調圧力」という言葉が紹介されています。
これは「友達同士がいつも一緒に行動していなきゃいけない雰囲気」と言い表すことが出来ます(勝手なイメージで申し訳ないですが、特に女子高生など女性同士がこのイメージに当てはまります)。一緒じゃないと「ノリが悪い」「一人だけ浮いてしまうのが怖い」そういった感情から周りに合わせてしまうことです。
「人は人、自分は自分」のはずですが、まだまだ何となく一緒にいないとまずいという雰囲気に悩んでいる方が多いようです。

「友だち100人出来るかな」の弊害

著者は、日本の人との付き合い方の考え方の一例として「一年生になったら」という曲を挙げています。「友だち100人出来るかな」というお馴染みの歌詞は、誰しも聞いたことがあると思います。
言うなれば「みんな仲良く(できるはず)」という考え方です。未だに教育現場にはそのような考え方が蔓延っているおかげで、高学年や中高生になっても「みんな仲良く」という発想が取れずにいます。
「みんな仲良く」という理想も大切だけど、同時に「気の合わない人と並存する」作法を教えることも大切だと説いています。
みんな大人になれば、「自分と合わない人とうまく折り合いをつけながらやっていく」ということを自然と学ぶのに、子供に「子供ならみんな仲良くできるはず」という過度な幻想を抱きすぎて、大事なことを教えないというのは非常にナンセンスな話です。

大人になると必ず必要なことだけど、学校では教えない2つのこと

一つは「気の合わない人間とも並存していかなければならない」ということ。
これは先に述べた「みんな仲良く」という学校教育の話を読んでもらえば納得してもらえると思います。

二つ目は、「君にはこういう限界がある」ということです。
よく聞かれる「君たちには無限の可能性がある」というセリフ。
一方で「人には誰でも限界がある」「いくら頑張ってもダメなことだってある」ということまでは教えてくれません。
ですが、これは非常に大切な教えだと思います。

「自分が一番でいたい」という気持ちはよく言えば向上心があると言えますが、一番になれない場合は、妬んだり、自分より優れた人の足を引っ張ったり、あるは、いじめのターゲットにしたりと、自分の限界や挫折を知らない、耐えきれないがゆえに、その気持ちを悪い方に向けることもあり得ます。

「痛み(限界や挫折)を知る」からこそ、相手を理解できるという部分は必ずあります。痛みを知り、自分の中で咀嚼し、次に繋げる、大人の世界はまさにこれの繰り返しです。そのことを著者は、「うま味は苦味の先にある」と表現しています。それを知ることこそ大人になることだと言えます。

感想

大人になり様々な経験を経て人と人との付き合い方に迷いがなくなった今では、ほぼ自分の考え方通りの内容が書いてあって目新しさは少なかったというのが本音です。しかし、中学生や高校生などの思春期に読んでいたら、良い影響を受けただろうなと思う一冊です。是非、青春時代真っ盛りの世代の方に読んで欲しい一冊です。

タモリさんの名言「友だちはいらない」

要旨(まとめ)で、「友だち100人できるかな」の話を書きましたが、タレントのタモリさん(福岡出身!!)は、「『友だち100人できるかな』のあの歌嫌い。そんなことで(友だち100人出来るかどうかで)人生決めるなよ」ということを仰っていて、「友達はいらない」とまで言い切っています。
この発言がTVで紹介された際は、大きな反応があったと言います。それだけ、私たち日本人が「みんな仲良くしないといけない」と思い込んでいたということが伺えます。

往往にして、学生時代などにいわゆるリア充的なグループにいたとしても、大人になっても腹割って何でも話せる本当の友達というのは中々出来ないものです。
そんな上っ面な関係性の友達が何人もいるより、お互いに何でも話せる親友が一人でもいた方がよっぽど充実した人生になると私は思います。

「他者」と「異質性」の認識が鍵。

著書でも事あるごとに触れられていますが、自分と「他者」は違うことを認識することが全てのスタートだと思います。

「異質性」を認識することができれば、著者の言う「やり過ごす」ということが可能になります。
いくら中の良い友人であったとしても、「他者」に違いはありません。全ての考え、感情が同じということはない訳です。それを理解していれば、多少の考え方、意見の違いは許容出来るはずです。「そういう考えもあるよね」と流せるということは人間関係の上では非常に重要です。
ただし、後述している「コミュニケーション阻害語」の影響で、双方向に上手く情報が届いていない可能性もあります。そういった時は、きちんと話し合ってみる、その上で「意見が異見」であればそれをお互いに認め合うという付き合い方が大切になると思います。

話す言葉にも要注意

本書の終盤に、「コミュニケーション阻害語」という話が載っています。
それは、「自分から相手を一方的にまなざすばかりで、相手からのまなざしを回避してしまう道具」として紹介されています。

例えば、「ムカつく」や「うざい」といった言葉です。
これらの言葉は、自分の中に少しでも不快感が生じたときに、そうした感情をすぐに言語化できる、非常に便利な言語ツール的ツールだと言えます。
ですが、「私は不快だ」と表現して、異質なものと折り合おうとする意欲を即座に遮断してしまう言葉だとも紹介されています。
また、他者への攻撃の言葉としても使え、根拠もなく感情のままに使えます。
通常、嫌いだ。嫌だというからには、その理由を添えます。例えば、「こういう理由で嫌だ。嫌いだ」という具合に。
そういった過程が省略されてしまうのがこのコミュニケーション阻害語という訳です。

こうしたことから「ムカつく」「うざい」は、口に出した途端、異質性を受け入れた形での親密性、親しさの形成、親しさを作り上げていくという可能性はほとんど根こそぎゼロになってしまうと著者は述べています。

また、昔は「ムカつく」、「うざい」といった言葉を許すような場の雰囲気がなかったとも述べています。「ムカつく」や「うざい」を社会的に表現するには、それだけの理由、相手に対するそういう拒絶を表現していいのだという根拠を与える理由がないと言えないような雰囲気があったのです。それが今では、主観的な心情を簡単に発露できてしまうほど社会のルール性が緩くなってしまったということです。「好きなことを言えないような雰囲気」と書いてしまうと、「言論の自由」がなんて言葉が聞こえてきそうですが、言えないことにより「ある種の耐性が養われていた」とも言い換えることが出来ます。

こうした話を聞くと、言葉遣いには注意するべきだと改めて思います。
言葉は自分を表現する手段、ツールですが、こうした阻害語を多用することで結果として自分自身を軽い、浅いものにしてしまいかねない訳ですから。
また、こうした阻害語の横行により、双方向のやり取りができず、お互いが受け取る情報量にも差が生まれ、コミュニケーション不足、引いてや不安といった問題につながっていると思います。たまに会話していても、「この人何が言いたいんだろう」「言ってることが軽いな」と感じることがありますから…。
これから良好なコミュニケーションを築くためには、益々言葉選びが重要になってくると思いますが、「Line」というツールによって気軽に物事を言える反面、コミュニケーション阻害語を助長するツールにもなってくるでしょう。例えば、「大嫌い」「激怒」といったマイナスイメージのスタンプが送られて来た時に、冗談と思うか、本気と思うか、人それぞれ受け取り方は異なってきますからね。

また、個人的には、Yahoo!ニュースなどを見ていると、「〜すぎる」という言葉に少し違和感を感じます。よく見る例で言えば、「美人すぎる」「可愛すぎる」と言ったもの。普通に、「美人」「可愛い」で良いのでは?
何でも過剰に表現していると、いざ本当に使おうと思ったときに重みがなくなって困らないのかなと思ったりもします。

言葉遣いに性格や人柄が現れると言いますが、直そうと思ってもすぐには直せないものです。日頃から意識しておきたいと思います。

何だか脈絡のない文章になってしまいましたが、学生さんにはオススメの一冊です。確かにオススメですが、書いてある内容を実践するには難しいところもあるでしょう。
学生時代は「学校での社会(繋がりや人脈、情報)が全て」となるので、人間関係で揉めた時などにこの本に書いてある内容も一つの考え方としてあるのだということを知っておくだけでも違うと思います。文庫本で値段もお手軽(740円)!?なので、是非読んでみて下さい。

この記事を書いている人 - WRITER -
経営コンサルタント(中小企業診断士)、人事・労務コンサルタント(社会保険労務士)。福岡生まれの熊本育ち。性格は典型的な「肥後もっこす」。 「ヒト」と「組織」の問題解決(人材教育・育成や組織変革)を専門とする。 また、商社時代に培った経験から財務・会計にも強く、人事面のみならず財務面からの経営アドバイスも行う。 他にも社会保険労務士、中小企業診断士や行政書士など難関国家資格を含む20個の資格にフルタイムで働きながら1発合格した経験を生かし、資格取得アドバイザーとしても活動中。
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